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誰より愛した人の・・・。
00時33分 | 固定リンク
命の定義は置いといて・・・、 心臓が停止した時点で、遺体いや、もっと残酷に言うと死骸の顔となる。
ダウン症の子供達の顔が親が違っても同じような顔になるのと似ていると私は思っている。
息が途絶える寸前まで、その意識がなくても、臨終間じかの大きな息でも、愛する人だと認識でき愛おしい。しかし、死骸は死骸だと・・・思う。
投稿: ガンモ | 2009年7月 8日 (水) 08時30分
>ガンモさん
ガンモさんはそう思われますか。
非常にデリケートなテーマなので、最後を疑問形にしたんですが・・・私もどちらかというとそちらに近いですかねぇ・・・。
投稿: SID | 2009年7月10日 (金) 08時59分
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コメント
命の定義は置いといて・・・、
心臓が停止した時点で、遺体いや、もっと残酷に言うと死骸の顔となる。
ダウン症の子供達の顔が親が違っても同じような顔になるのと似ていると私は思っている。
息が途絶える寸前まで、その意識がなくても、臨終間じかの大きな息でも、愛する人だと認識でき愛おしい。しかし、死骸は死骸だと・・・思う。
投稿: ガンモ | 2009年7月 8日 (水) 08時30分
>ガンモさん
ガンモさんはそう思われますか。
非常にデリケートなテーマなので、最後を疑問形にしたんですが・・・私もどちらかというとそちらに近いですかねぇ・・・。
投稿: SID | 2009年7月10日 (金) 08時59分